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『結論それなの、愛』のあらすじと感想について

小説

こんにちは!しょーてぃーです!

今回は、一木 けいさんの

『結論それなの、愛』について紹介をしていきます!

 

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『結論それなの、愛』について 

本書の概要

本書はひとことで言うと

孤独な駐在妻が見つけた、無垢で危険な愛の物語です。

 

本書をオススメしたい人

・異文化体験に興味がある人

・大人の恋愛小説が好きな人

・社会問題にも目を向けたい人

 

本作は、バンコクの海外駐在員妻たちの孤独と愛情を描く恋愛小説です。

 

主人公マリはコロナ禍で夫と別居を余儀なくされた駐在妻で、

孤独な日々を送る中でスーパーで出会ったタイ人青年テオに心を寄せるようになります。

 

作者の一木けいは自身のタイ駐在経験をもとに、

不倫や人身売買、強制売春といったデリケートな社会問題も織り交ぜながら、

「愛」の本質に迫る物語に仕上げています。

 

作中には言葉や文化の違いが強調され、

夫婦間のコミュニケーション不足が大きなテーマとなっており、

成熟した大人の読者にも響く深い内容です。

 

『結論それなの、愛』のあらすじ

あらすじの概要

バンコクの高級アパートで暮らすマリは、コロナ禍で出張先から帰ってこられない夫と別居生活を送っている。日本にいた母の葬儀にも参加できず、孤独なマリに声を掛けたのは、テオというタイ人青年だった。寄り添い、理解しようと向き合ってくれるテオに、マリは心惹かれるようになる。魂が震える最高純度の恋愛小説。

結論それなの、愛  より

 

それでも愛を選んだ 3人の駐在妻が見た真実

物語は三つの連作で構成されています。

 

第1部「菜食週間」では、コロナ禍で夫がマレーシアから戻れず

高級コンドミニアムで一人暮らしをする駐在妻マリが描かれます。

 

妻マリは孤独のあまり意識が眠りがちになっていましたが、

ある日、スーパーマーケットで出会った若いタイ人青年テオと心を通わせていきます。

 

テオはマリに寄り添い理解しようとし、

二人の間には言葉を超えた通じ合いの芽生えが生まれます。

 

テオと深く話すうちに、マリは自分が夫にすら

素直に気持ちを伝えられていなかったことに気づきます。

 

一方で夫はマレーシアで仕事中のまま国境封鎖により帰国できず、

二人は7か月間すれ違ったまま過ごしていたのでした。

 

この章の終盤で、テオはマリを安心させるように言葉をかけ、

マリも自身の孤独を吐露することで、二人の絆が静かに深まっていきます。

 

第2部「なーなーの国」では、舞台が同じくバンコクの駐在妻コミュニティに移ります。

 

この章の主人公は、タイ人と結婚して裕福な暮らしを送る日本人女性・晶です。

 

晶は表向きは充実した生活を送っていますが、

実は同胞で元飲食店経営者の日本人男性・裕介と密かに不倫関係にあります。

 

また晶の友人である紗也子は、好奇心から日本人女性専用の風俗店に通い、

若いタイ人男性を買うことで非日常を体験しようとしていました。

 

晶は裕介との逢瀬を重ねるうちに夫との間にできた心の隙間を埋めようとしますが、

裕介が突然姿を消したことで激しい後悔に苛まれます。

 

彼女は「裕介が何を望んでいるかもっと想像していればよかった、

分からないときは尋ねるべきだった」と自らを責め、

通じ合うことの難しさを思い知らされるのでした。

 

第3部「パ!」では、晶の知人で

まもなく夫の本帰国を控えた澄花(すみか)の過去が中心になります。

 

現在は優雅な駐在妻となった澄花ですが、

20代前半でタイに来たばかりの頃、騙されてタイ国境近くの売春宿に連れて行かれ、

客を取らされるという過酷な経験をしていました。

 

澄花は当時の自分を振り返り、その痛ましい記憶に向き合っていきます。

 

売春宿で出会った客の一人には、フラメンコギタリストのヴィンセントという男性がおり、

売春婦と客という枠を越え、拙い英語や音楽、肉体を通じて

少しずつ心を通わせるようになります。

 

この束の間の触れ合いが澄花にとって唯一の救いとなり、

その後の人生に強さを与えます。

 

最終的に、澄花は過去の傷を乗り越えて家族とともに本帰国の準備を進め、

タイでの経験を胸に新たな一歩を踏み出すことになります。

 

『結論それなの、愛』の感想

分かり合えなさの先にあるもの

本作は、読後にしみじみとした余韻と共に、

複雑な感情が心の中に波紋のように広がっていく作品です。

 

読みながら、私は何度も立ち止まり、

登場人物たちの「通じなさ」や「ずれ」に思いを巡らせました。

 

表面的には「恋愛小説」の枠に収まるように見えますが、

その奥には家族・夫婦・性・国境・孤独・階層といった、

多層的なテーマが渦巻いており、読む者に深い思考を促します。

 

まず印象的だったのは、3章それぞれに登場する女性たちの姿勢の違いです。

 

第1章のマリは、駐在妻としての生活に適応しきれず、

コロナ禍という外的状況も相まって、孤独に苛まれます。

 

彼女はテオというタイ人の青年との出会いを通して、

忘れていた「誰かに理解されたい」という渇望に気づいていきます。

 

二人の交流には一種の幻想が付きまとっており、

それはどこか、許されない関係でありながらも、

「心が通じ合う瞬間」に救いを求めているかのようです。

 

第2章の晶は一見充実した生活を送っているようでいて、実は心に空洞を抱えています。

 

裕介との不倫関係は、「夫に愛されていない」という

感情を埋めるための手段だったのかもしれませんが、

そこにあるのはあくまで「仮初の安心」でしかなく、

裕介が突然消えたときに残されたのは、強烈な喪失と、自己否定でした。

 

彼女の「もっと想像していればよかった。

わからないときは尋ねるべきだった」という後悔は、

本書全体のテーマである「通じ合えなさ」に直結しており、

読者にも「自分は大切な人の本当の思いを理解しているだろうか」と問いを投げかけてきます。

 

そして第3章の澄花の過去は、読んでいて息が詰まるような体験でした。

 

若いころ騙されて売春宿に連れて行かれた経験は、

彼女の人生に深い影を落としていますが、

それでも彼女は過去に向き合い、現在を生き直そうとします。

 

救いのない環境の中で出会ったヴィンセントというフラメンコギタリストとの交流は、

澄花にとって唯一「人として接してくれた」存在でした。

 

言葉が十分に通じなくても、音楽やしぐさを通して少しずつ育まれていく関係性には、

本作のタイトルが象徴する「それなの、愛」という感情がにじみ出ています。

 

本作が素晴らしいのは、いずれの章も、「愛があるからこそ痛い」

「通じ合いたいからこそ苦しい」という人間の本質を描いていることです。

 

タイという異文化の地を舞台にしながらも、語られる感情は普遍的で、

日本に暮らす私たちの誰にとっても無関係ではありません。

 

しかも、恋愛を「救い」や「回復」の手段としてだけではなく、

「誤解」や「崩壊」の一因としても描いているため、物語に一貫した緊張感があります。

 

文章は非常に洗練されていて、抑制の効いた語り口でありながらも情景や感情が鮮明に伝わります。

 

特に冒頭のスーパーマーケットの描写や、南国の湿度と彩度のある風景は、

読者を作品世界へとぐっと引き込む力があります。

 

まるでその空気を吸い、その熱を肌で感じるような錯覚さえ覚えるほどでした。

 

本作を読み終えたとき、ふと考えたのは、「通じ合う」ことの難しさと、

それでも「通じ合いたい」と願う人間の本能的な欲求です。

 

誰かを深く理解したい、理解されたい

それは恋人や家族だけでなく、言葉の壁を越えた相手に対しても同じなのだと気づかされます。

 

だからこそ、マリとテオの交流や、澄花とヴィンセントの触れ合いには心を揺さぶられました。

 

そして、本作のすべてを貫いているのは、

「愛は不完全なまま、そこにある」という視点です。

 

完璧に通じ合うことはできなくても、諦めずに言葉を探し、

相手の感情を想像しようとする姿勢そのものが「愛」なのだと。

 

そう思わせてくれるラストは、静かで、でも確かな余韻を残します。

 

最後に

ここまで本書について紹介してきました。

 

大人の読者に響く静かな情熱を秘めた作品です。

異文化の街バンコクという鮮烈な舞台設定の中で、

夫婦のすれ違いや孤独、そして儚い救いが丁寧に描かれています。

 

読後には、タイトルが示すように

「結論は愛なのだ」という言葉の重みをかみしめることでしょう。

 

本作を通じて、読者自身も大切な人とのコミュニケーションを見つめ直し、

「愛する」ということの本質について改めて考える機会を得られるはずです。

 

本書が気になる方は、是非手に取ってみてください!

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