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川村元気さん著書『百花』あらすじと感想について

小説

こんにちは!しょーてぃーです!

今回は、川村元気さんの

「百花」について紹介します。

 

本書のあらすじと

個人的な感想について書いていきます!

 

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「百花」について 

本書の概要

本書は2019年に

文藝春秋から出版されました。

 

認知症で息子を忘れていく母親と

母親との思い出を蘇らせていく息子の

親子愛と記憶の物語です。

 

そして、2022年9月9日に

著者の川村元気さんが監督で

映画化されます。

 

キャストは

菅田将暉さんと原田美枝子のW主演です。

 

映画化についての

菅田将暉さん、原田美枝子さん

川村元気さんのコメントは以下になります。

 

※キャストとスタッフのコメント

https://moviewalker.jp/news/article/1061607/p2

 

本書をオススメしたい人

・川村元気さんが好きな人

・リアリティのある作品が好きな人

・映画化される作品が気になる人

 

著者の川村元気さんは

「世界から猫が消えた日」

「億男」「4月になれば彼女は」など

数々の名作を輩出してきました。

 

本書はそんな著者の

プライベートな出来事がたくさん作品に

盛り込まれています。

 

作品としては

久しぶりに実家に帰省したら

自分の母親が認知症であることが

発覚するところから話が始まります。

 

著者自身も同様の経験をしていて

以下のようなコメントを残しています。

「この小説はプライベートな要素が強くて、僕のおばあちゃんが認知症になり、

久しぶりに実家へ行ったら『あなた、誰?』って、僕のことを忘れていたんです。

『君の名は』などで人の事を忘れる内容の作品を作ってきましたが、

リアルで人が自分の事を忘れるという体験に凄い衝撃を受けました。

ただ一方で、エンタメの人間なのでどこか面白がる自分もいて、おばあちゃんの元へ

1年半くらい通っておしゃべりをし続けました。日に日に忘れていくわけなんですが、

自分も記憶を改ざんしているということに気づいたんです」

引用元リンク:

https://eiga.com/news/20211202/1/

 

「自分の親が認知症になったら?」と

考えてしまうくらい

リアリティがある作品です。

 

「百花」のまとめ

主な登場人物

葛西泉

本作の主人公であり

38歳でレコード会社に勤務する音楽ディレクターです。

 

就職と同時に実家を出ました。

実家には1時間半ほどで帰れますが

帰省するのは年に2回程度です。

 

父親のことは何も知らず

シングルマザーの母に育てられました。

 

葛西百合子

68歳で泉の母で

アルツハイマー型認知症を発症します。

 

昔ピアニストだった経歴があり

自宅でピアノ教室を開いて

女手一つで泉を育てあげます。

 

葛西香織

葛西泉の妻であり妊娠中です。

 

妊娠中にも関わらず

優秀なディレクターなので

現在も大きな仕事を任されています。

 

初めて親になる不安を抱えながらも、

泉と共に仕事に追われる日々を過ごしています。

 

「百花」のあらすじ

以下は文藝春秋の

公式サイトの引用になります。

大晦日、実家に帰ると母がいなかった。

息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。

それは母が息子を忘れていく日々の始まりだった。

認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、

泉は母との思い出を蘇らせていく。

ふたりで生きてきた親子には、どうしても忘れることができない出来事があった。

母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。

あのとき「一度、母を失った」ことを。

泉は封印されていた過去に、手をのばすーー。

現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。

すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。

引用元リンク

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163910031

 

「百花」の感想

※一部ネタバレを含んだ感想になります。

 

本作では、以下4つのキーワードが

大きな要素だと感じました。

  • 「百合子の認知症までの葛藤」
  • 「泉と百合子の親子関係」
  • 「新たな命と終わっていく命」
  • 「封印されていた過去」

 

「百合子の認知症までの葛藤」

息子の泉は年に2回ほどしか

実家に帰って来られません。

 

ですが、元日が

百合子の誕生日ということもあって

毎年大晦日は帰省をして

2人で過ごすようにしていたのです。

 

しかし、今年は泉が実家に帰ると

母が家にいませんでした。

 

泉は近所を探すと、百合子は

寒い夜の公園で、コートも羽織らずに

ブランコに乗っていました。

 

泉が声をかけると、百合子は

「買い物に行ったら少し疲れた」と言いました。

 

しかし、手には買い物袋も何もなく

結局、泉は百合子と一緒に近所のスーパーで

買い物をして帰宅しました。

 

泉は家に帰って買ってきた食材を片付けます。

片付けていると、冷蔵庫の中は

賞味期限切れのものばかりでした。

 

しかも買ってきたものは

既に家にある食材を買ってきていました。

 

泉が指摘すると

「最近よくやっちゃうのよね」と

百合子は笑って答えました。

 

ある日、泉の元に警察から連絡が入ります。

百合子がスーパーでお会計をせずに

商品を持ち出そうとしたのです。

 

慌てて百合子を迎えに行った泉に、

警察官は百合子を

病院に連れていくことを勧めました。

 

泉の付き添いで

百合子は病院に行き検査を受けました。

 

そこで、百合子は

アルツハイマー型認知症と診断されました。

 

泉は医師の話を聞きながらも

自分の母が認知症であることが

受け止められずにいました。

 

母の記憶が失われていくことを

すぐに受け入れられないのです。

 

泉は、実家に帰り

百合子が買いすぎた食材などを整理しながら

疲れて寝てしまった百合子の代わりに

家の掃除をしました。

 

そこで、食器棚の引き出しから

認知症についての本を見つけます。

 

さらに、本に封筒が挟まっており

中身を確認すると

隣町の総合病院で受けた検査結果でした。

 

アルツハイマー型認知症の疑いがある

と書かれており

日付は半年以上前でした。

 

そして泉は半年前に百合子から

頻繁に電話がかかっていたことを思い出します。

 

要件をはっきり言わない百合子に

泉は仕事が忙しいからと言って

すぐに電話を切っていたのです。

 

電車で1時間半ほどの距離に住んでいるのに

1人で住んでいる母親に

会いに行こうとすらしなかったのです。

 

1人で検査を受けに行った

百合子の姿を想像した泉はひどい後悔に襲われます。

 

「もしかしたら認知症かもしれない?」と

自覚してしまう百合子の心境も

「認知症の母親に対するケア」を

後悔してしまう泉の心境も

双方が重たく、受け入れ難いものです。

 

特に百合子の

「まさか自分が認知症なんじゃないか?」と

いう気持ちから検査に行くまでは

言葉で表現できないくらい

辛かったのではないかなと感じました。

 

また、認知症が進行していく

百合子は施設に入居することになります。

 

百合子を施設に残して

泉は片付けのために実家に戻りました。

 

沢山のものを整理していくと

小さなメモが出てきました。

  • 食材を買いすぎないこと
  • ヘルパーの来る時間
  • 泉の名前
  • 泉の好物
  • 泉の仕事
  • 泉に迷惑をかけないこと。

 

百合子の字で書かれた沢山の言葉と

最後に「泉、ごめんなさい」という文字がありました。

 

そのメモを見て

泉はずっと1人で苦しんでいた百合子を思って

あふれ出る涙を止めることが出来ませんでした。

 

止まらない病と向き合いながらも

息子に対して申し訳ないという

感情が出てきてしまうことは

1人で苦しんでいた象徴なんだなと感じました。

 

ここは、めちゃくちゃ泣いてしまいました。

 

「泉と百合子の親子関係」

本作は、泉と百合子の

双方の視点から

母と息子の物語が展開していきます。

 

また、認知症と分かった泉は

記憶を失っていく母親とは反対に

過去の記憶を思い出していきます。

 

そこで印象に残ったシーンが

作品内で子供の頃の泉が

「お父さん」というワードをわざと使う場面があります。

「秋田に旅行で行った奴が、

お父さんにかまくらを作ってもらって、中でおしるこ食べたんだって」

そう言った時の百合子の顔をいまだに忘れることができない。

ただかまくらへの憧れを伝えるつもりが、「お父さん」という言葉を使っていた。

それが母を傷つけることをどこかでわかりながら、当て付けるような言い方になった。

 

百合子はシングルマザーであるが故に

子供からの「お父さん」という言葉を

深く受け止めてしまいます。

 

子どもは無邪気であり残酷です。

伝え方も下手なのは仕方ないです。

 

ですが次の日に

百合子はかまくらとおしるこをこしらえて

念願のかまくらでおしるこを実現させます。

 

ひんやりとした雪の屋根で

おしるこを食べた結果、泉の心境は変わります。

その日の夜、泉と百合子は揃って高熱を出して寝込んだ。

ふたりで布団を並べて横になりながら、おしるこおいしかったねと笑い合った。

「ごめん、俺、お父さんはいらないから。母さんいればいい」

親子エピソードに感動するだけでなく

母と子の1対1関係が

物語になっており、惹きつけられました。

 

反対に、強烈な出来事がないと

親子関係のエピソードは思い出せないよな

そう自負してしまったが故に

悲しくなってしまう場面でもありました。

 

「封印されていた過去」

百合子が施設に入った後、

泉が実家の荷物を整理する場面で

押し入れの中にある母の日記を見つけます。

 

1994年から1995年の日記です。

実は、泉と百合子には空白の1年がありました。

 

泉が中学二年生になろうとしていたある日

百合子は、朝食を作ってちょっと出かけてくると

言い残したきり1年間も泉の前から

居なくなってしまいました。

 

泉と百合子の間では、

この1年間がなかったことになっていました。

 

この日記をきっかけに

その1年について泉は思い出しました。

 

百合子は家庭のある人と関係を持って

その人についていく形で家を出てしまったのです。

 

百合子はまだ中学生だった

1人息子の泉を捨てたのです。

 

百合子が家を出てから5日間

泉は1人で百合子を待ち続けました。

 

食べるものも、お金もなくなった泉は

母の手帳に書かれていた

祖母の電話番号に電話をしました。

 

祖母とは疎遠でしたが、事の重大さから

週に2度ほど来てくれるようになりました。

 

泉はその期間に

百合子との写真を全てゴミ箱に投げ入れます。

 

しかし1年後、百合子は

何事もなかったかのように帰ってきて

味噌汁を作っていました。

 

泉は喜びも怒りもなく

1年間をなかったことにして、その後を過ごしました。

 

泉は母の日記を読み

初めて2人の中での

空白の1年間のことを知ったのです。

 

「いきなり1人息子を置いて

出ていくのはひどいだろ」と思ってしまいます。

 

しかし、百合子は

シングルマザーであるが故の気持ちがあり

息子を捨ててまでも

ついて行きたい理由があったのです。

 

また、そこまでしたのに

息子の元へ帰りたいと思えるような

きっかけもあったのです。

 

「新たな命と終わっていく命」

認知症であり、死に近づいていく

百合子がという存在がいる一方で

泉と香織の間には

新しい命が出来ていました。

 

本作では「母親が認知症である」という

辛い現実に直面しているシーンもありますが

「父親」という存在を全く知らない泉が

「父親になる」事の不安に襲われるシーンもあります。

 

香織が分娩室に入ってから産まれるまでの間の泉は

どうしようもない不安に襲われています。

 

「自分がどうしたら父親になれるのか」を考えていたのです。

 

泉にとって百合子は、初めから母親でしたが

百合子も手探りで泉の母親になったことを

初めて気付きます。

 

いざ看護師に呼ばれて、分娩室に入ると

ひと仕事を終えたような顔をした香織と

産まれたばかりの赤ん坊がいたのです。

 

そして、赤ん坊の泣き声を聞いた時に

泉は周りの視線など気にせず嗚咽しました。

 

きっと自分も

父になれる日がくるのだろうと思えたのです。

 

命のはじまりと終わりの双方の葛藤があり

ここまで追い込まれている泉を

他人事のように思えないくらい

リアリティがありました。

 

そして、誰しもが

手探りで親になるものなのかなと

思えて少し安心しました。

 

最後に

ここまで本書について紹介してきました。

身内の誰かが認知症になったとしたら?

もし自分が認知症になってしまったら?

と真剣に考えさせられる1冊でした。

 

また、母の介護と並行して語られる

泉と香織が体験する

 「妊娠と出産」 に至る過程の描写は

作品を通して衝撃的でした。

 

香織が妊娠したとわかった当初は

2人とも喜びよりも

不安と戸惑いの方が大きかったのです。

 

親になる不安と

親に何かあった時の不安の双方を

考えさせられる作品で

映画化が非常に楽しみです!

 

本書が気になる方は、是非手に取ってみてください!

 

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