こんにちは!しょーてぃーです!
今回は、伊坂幸太郎さんの
『さよならジャバウォック』について紹介をしていきます!
『さよならジャバウォック』について
本書の概要
本書はひとことで言うと
家族愛とスリルが同居する、意表を突くサスペンス物語です。
本書をオススメしたい人
- 伊坂幸太郎ファンの人
- 意外性のあるミステリーが好きな人
- 家族や人間の本質について考えたい人
本書は伊坂幸太郎さんのデビュー25周年を記念して書き下ろされた長編ミステリーです。
物語は「夫は死んだ。死んでいる。私が殺したのだ」という
衝撃的な一文から幕を開けます。
主人公の量子(りょうこ)は優しかった夫の豹変に苦しみ、
家庭内暴力に耐え続けた末、ある出来事で夫を死なせてしまいます。
その直後に現れる謎の訪問者とともに、
物語は誰にも予想できない方向へ動き出します。
本作の魅力は、日常が少しずつ非日常へと侵食されていく不安感と、
ページをめくる手が止まらなくなるスリリングな展開にあります。
家庭内のDVや孤立といった重いテーマを扱いながらも、
物語全体にユーモアや温かみも漂い、読者は「これは一体何が真実なのか?」と
翻弄されつつ物語に引き込まれていきます。
タイトルにある「ジャバウォック」はルイス・キャロルの童話に登場する怪物の名で、
現実に潜む得体の知れない恐怖や混沌を象徴するものでもあります。
最後にはすべての伏線が収束し、冒頭からは想像できなかった結末となります。
『さよならジャバウォック』のあらすじ
あらすじの概要
結婚直後の妊娠と夫の転勤。その頃から夫は別人のように冷たくなった。
彼からの暴言にも耐え、息子を育ててきたが、ついに暴力をふるわれた。
そして今、自宅マンションの浴室で夫が倒れている。
夫は死んだ、死んでいる。私が殺したのだ。
もうそろそろ息子の翔しようが幼稚園から帰ってくるというのに…。
途方に暮れていたところ、2週間前に近所でばったり会った
大学時代のサークルの後輩・桂凍朗かつら こご ろうが訪ねてきた。
「量子りよう こさん、問題が起きていますよね? 中に入れてください」と。
さよならジャバウォック より
衝撃の幕開けと謎の訪問者
幼い息子・翔(しょう)を育てる母親の量子(りょうこ)は、
結婚後まもなく夫の転勤に伴って妊娠・出産を経験します。
しかしその頃から夫の性格は一変し、別人のように冷たくなりました。
日々浴びせられる暴言にも必死に耐えながら何とか息子を育ててきた量子でしたが、
ついに夫から暴力を振るわれる事態に至ります。
そして現在――自宅マンションの浴室には倒れた夫の姿。
「夫は死んだ。死んでいる。私が殺したのだ。」
量子は突発的な争いの中で夫を死なせてしまい、呆然と浴室に座り込んでいました。
やがて保育園に通う息子の翔が帰宅する時間が迫りますが、
夫の亡骸を前に途方に暮れるばかりです。
そんな彼女の元を訪ねてきたのは、
大学時代のサークルの後輩だった桂 凍朗(かつら こごろう)でした。
2週間ほど前に偶然再会したばかりの桂ですが、
ドア越しに「量子さん、問題が起きていますよね? 自分が何とかします」と告げます。
状況を察知しているかのような謎めいた言葉に戸惑いつつも、
量子は桂を家に招き入れました。桂は動揺する量子を落ち着かせ、
翔が帰ってくる前に「まずは夫の遺体を隠しましょう」と提案します。
半信半疑の量子でしたが、翔のためにも事態を隠さねばという思いから桂に従い、
ともに夫の亡骸を浴室から運び出しました。
桂は「後で知り合いに頼んで、この件は処理します」と告げますが、
その意味するところは不明のままです。
突然の後輩の助けに戸惑いながらも、量子はひとまず普段通り帰宅した翔を迎え入れ、
嵐の過ぎ去るのを待つしかありませんでした。
見えない怪物「ジャバウォック」
夫を死なせてしまった量子のもとに現れた桂でしたが、
実は彼の背後にはさらに謎の二人組の男女が控えていました。
その男女は間もなく量子の前に姿を現します。
男の名は破魔矢(はまや)、女の名は絵馬(えま)
いずれも縁起の良い神道的な名前を持つ、不思議な雰囲気のカップルです。
破魔矢と絵馬は混乱する量子を優しく諭し、
まるで彼女を導く“バディ”のような軽妙な掛け合いを見せながら状況を整理し始めます。
量子が何も聞かないうちから、破魔矢たちはまるで全てを知っているかのように
夫の異変について語り出しました。
彼らの話によれば、量子の夫が結婚後に性格が変貌し暴力的になったのは、
彼本人の本質が突然変わったからではなく、
「ジャバウォック」と呼ばれる得体の知れない“何か”に憑依されていたためだというのです。
突然のオカルトじみた説明に量子は半信半疑ですが、
破魔矢と絵馬は過去にも似たような事例が多数存在すること、
そして量子の夫もまさにその「ジャバウォック」の犠牲になっていた可能性が高いことを淡々と伝えます。
量子自身、夫の変貌ぶりには心当たりがありました。
結婚直後までは優しかった夫が、
転勤で新しい土地へ移ってから別人のように冷酷になったこと。そこで絵馬が指摘します。
「その転勤先で、ご主人は何か奇妙な出来事や人に出会っていませんでしたか?」
量子ははっとして思い出します。
夫が転勤先の職場で「変な噂」を口にしていたことを。
職場の上司が突然部下に暴力を振るい解雇された事件や、
近隣で不可解な暴力事件が相次いでいたという話…。
破魔矢は頷き、「ジャバウォックは人から人へと伝染することがある」と説明しました。
量子の夫は新天地でその“怪物”に取り憑かれ、
暴力衝動に支配されてしまったのではないか、と。さらに破魔矢は続けます。
量子が夫を死なせてしまった今、
ジャバウォックは新たな宿主を探しているかもしれない、と。
量子は背筋が凍る思いでした。翔が帰宅する直前、
桂が突然現れたのも偶然ではなく、
もしや翔にジャバウォックが乗り移るのを防ぐためだったのでは…?
問いただす量子に、破魔矢と絵馬は静かに頷きました。
彼らは量子と翔を守るため、
そしてジャバウォックという存在の謎を突き止めるために動いていると言います。
桂はこの二人と協力関係にあり、
量子の近くで異変が起きるのを察知して駆けつけたのでした。
こうして量子は破魔矢・絵馬・桂の3人と行動をともにし、
夫を豹変させた“見えない怪物”ジャバウォックの正体を追うことになります。
彼らはまず量子の夫が暴力的になった原因を探るため、
夫の転勤先だった土地や関係者を調査し始めました。
交錯する二つの物語
物語はここで、もう一つの視点に切り替わります。
それは、25年前に突如音楽界から姿を消した
伝説的な歌手伊藤北斎(いとう ほくさい)と、
現在そのマネージャーを務める斗真(とうま)という青年の物語です。
北斎はかつて国民的人気を誇るシンガーでしたが、
ある時の失言をきっかけに世間から激しい非難を浴び、
歌手活動を引退に追い込まれていました。
実はその「炎上」の中には、当時熱狂的ファンだった斗真も加わっていたのです。
斗真は北斎の軽率な発言に失望し、
怒りのあまり批判側に回って彼を糾弾してしまった過去を持っていました。
しかしそれから長い年月が経ち、大人になった斗真は自分の行動を悔い改めます。
今では彼こそが北斎を支える一番の理解者となり、
マネージャーとして再出発した北斎に寄り添っているのでした。
久々に物語の表舞台へ戻ってきた北斎は、
実に25年ぶりに新曲を発表しようとしていました。
その新曲には、北斎自身が経験した栄光と挫折、
そして「今もなお消えない人々の悪意」への想いが込められていました。
斗真もまた、かつて自分が加担してしまった“集団狂気”への贖罪の念から、
北斎の音楽活動に全力を注ぎます。
一方その頃、量子たちも調査の末にこの北斎と斗真の存在へと辿り着いていました。
破魔矢と絵馬は確信します。ジャバウォックは人々の心に潜む暴力衝動そのものであり、
ときにSNS上の炎上のように人から人へ伝染し増幅する性質がある、と。
かつて北斎を襲った理不尽なバッシングの嵐
あれこそがジャバウォックの仕業ではないか、と推理したのです。
量子の夫だけではなく、社会のあちこちにこの見えない怪物は潜んでいる。
そのカラクリに気づいた一行は、北斎と斗真に直接会って話を聞くことにしました。
『さよならジャバウォック』の感想
二つの視点が織りなす巧みな構成
本書の構成でまず印象的なのは、まったく異なる二つの物語が少しずつ絡み合い、
一つに収束していく巧みさです。
量子のパートでは一人称の女性視点で家庭内の緊迫した状況が描かれ、
一方の北斎・斗真のパートでは視点がコロコロと変わりながら物語が進行します。
最初は「何が何だか分からない」混沌とした状態で読み進めることになりますが、
それでも読者は伊坂幸太郎という作家への信頼から
「きっと全てが繋がる」と感じながらページを追うことができます。
点だったエピソードが線になり、面へと広がって、
最後の最後に世界がガラッとひっくり返る瞬間は圧巻です。
まさにジェットコースターのような物語体験であり、
「まさかこんな展開になるとは!」と驚かされること請け合いです。
伏線も丁寧に散りばめられており、ラストでそれが一気に回収される爽快感は
伊坂幸太郎作品ならではだなと感じました!
特に破魔矢と絵馬という二人組の存在は物語の鍵であり、
その正体が明かされたときには思わず鳥肌が立ちました。
暴力と優しさ…込められた人間への問い
表面的には超常現象めいたジャバウォックという存在が登場しますが、
本作が投げかけるテーマは極めて現実的で深いものです。
それは、人間の中に潜む暴力性と優しさの二面性、
そして「ヒトとは何か」という根源的な問いかけです。
作中では家庭内暴力、ネット上の炎上、差別や虐殺といった
現代にも通じる問題が言及され、決して他人事ではない人間の闇が描かれます。
一方で、そんな中にも確かに存在する人間同士の思いやりや
愛情も作品の軸として据えられています。
ジョン・レノンの例に象徴されるように、
最も温厚で最も残忍になりうるのが人間だというパラドックスに、
本作は真っ向から挑んでいるように感じました。
興味深いのは、物語の中で「音楽」が重要なモチーフとして登場する点です。
北斎の新曲が暴力的な“猿”を鎮めるくだりはファンタジックでありつつ、
同時に「芸術やユーモアが暴力に対抗しうる」というメッセージにも読めました。
作者の伊坂幸太郎さんはインタビューで
「本能やホルモン、脳の働きといったものが人間の根底にある」と語っています。
本作ではまさに、人間の理性では抑えきれない衝動(=ジャバウォック)と、
それでも愛や音楽といったもので繋がり合える人間同士の優しさが
対比されているように思いました。
母と子の絆がもたらす感動の余韻
何と言っても本作の最終盤には、
母と子の強い絆を感じさせる感動的な場面が待っていました。
量子は物語を通じて「子供を守るため」に必死でもがきます。
ネタバレになるため詳細は控えますが、
クライマックスで明かされる時間を超えた仕掛けによって、
量子と翔の親子愛が物語全体の核に据えられていたことが鮮やかに浮かび上がります。
全体として、論理的に練り上げられたプロットと読者の心に訴えかけるテーマ、
そして親しみやすいユーモアが見事に融合した物語でした。
伊坂幸太郎さんの「驚きの物語」を久しぶりに長編で堪能でき、
大いに満足するとともに、改めて氏の描く人間ドラマの温かさに触れられた気がします。
最後に
ここまで本書について紹介してきました。
ミステリーとしての面白さはもちろん、
読み終えた後に深いテーマについて考えさせてくれる1冊でした。
本書が気になる方は、是非手に取ってみてください!

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