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『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』の要約について

健康

こんにちは!しょーてぃーです!

今回は、松本俊彦さん、横道誠さんの

『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』

について紹介をしていきます!

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『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』について 

本書の概要

本書はひとことで言うと、依存症の真実に斬り込んだ1冊です。

 

本書をオススメしたい人

  • 都会の闇や裏社会をリアルに描いた社会派小説が好きな人
  • 短編やショートショート形式の斬新なストーリー展開を楽しみたい人
  • 刺激的な犯罪譚の中にも人間味や純愛を見出したい人

 

本書は、アルコール依存症の治療中でありながら自助グループを運営する

文学研究者・横道誠氏と、ニコチン依存症の精神科医・松本俊彦氏という

異なる立場の二人が往復書簡形式で本音を語り合う対話集です。

 

タイトル通り二人はカジュアルに「トシ」「マコト」と呼び合い、

飾り気のない口語体で進行します。

 

依存症は酒・薬物だけでなくスマホやゲーム、

カフェインなど現代人の身近な「病」だと捉え、

その原因や治療、社会の偏見や支援のあり方まで幅広く論じます。

 

特に「支援者・仲間とのつながり(回復のコミュニティ)」の重要性を強調しており、

単に「やめる」ことだけが解決ではないと訴えます。

 

内容は論理的ながら読みやすく、専門知識がなくても理解しやすい1冊です。

 

『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』のまとめ

横道誠氏の告白  依存症は「自己治療」だった

本書の対話は、まず横道誠氏の自らの体験から始まります。

 

彼は幼少期からクレプトマニア(万引き)や過食、セックスへの依存、

そしてアルコール依存に至るまで、自分史を赤裸々に語ります。

 

その過程で「依存症とは苦痛から逃れるためにハマってしまう自己治療の手段」だと悟り、

松本氏の「自己治療仮説」に深く共感します。

 

例えば「学校社会でも一般社会でも自分だけがうまくいかない」と感じ、

自身の人生を「地獄行きのタイムマシン」と呼ぶほど孤独と焦燥を抱え、

酒に溺れていったと告白します。

 

この手紙からは、依存が単なる意志の弱さではなく、

生きづらさを乗り越えようとする必死の試みであるという視点が示されます。

 

松本俊彦氏の転機  専門家が知った「無力さ」

松本俊彦氏はこれに応える形で自身の体験を語ります。

 

松本氏は当初、依存症治療に携わる自分の立場に戸惑っていましたが、

Narcotics Anonymous(NA)の会合に参加したことで大きく変わります。

 

NAでは、参加者一人ひとりが「××と申します(依存症患者の氏名)」と自己紹介し、

そのたびに全員が「ヘイ、××!」と呼びかける文化がありました。

 

この場の「無条件の呼びかけ」が会場を一体感で包み、

さらに最後に全員で唱えるセレニティ・プレイヤー(平穏の祈り)が、

松本氏に深い感銘を与えました。

 

この経験から彼は「専門家であっても、依存症の前では何もできない無力さを知ること」

いかに重要かを実感します。

 

実際、松本氏は自分の劣等感を吐露し、

長年回復している先輩患者を前に「自分はダメ人間だ」と卑屈になったことを認めています。

 

「やめさせる」から「共に生きる」へ  回復の考え方

二人はまた、依存症の治療法についても鋭い議論を交わします。

 

松本氏は「ダメ。ゼッタイ。」のような根性論に代わり、

「回復のコミュニティ(community)」こそが鍵だと主張します。

 

つまり、断酒・禁煙方法ではなく、

支援者や仲間とのつながりを維持することこそが回復を後押しし、

実際に「もうやめているかどうかは二の次になっている」と語ります。

 

横道氏もこれに賛同し、自助グループでの交流こそが孤独を癒す力になると実感しています。

 

二人とも、依存症とは「やめさせること」ではなく

「共に生きること」を学ぶ過程であると理解を深めていきます。

 

依存症の裏にあるもの  「困った人」ではなく「困っている人」

対話は進むにつれて話題が広がり、依存者像が多面的になることが示されます。

 

例えば、「困った人」として排除されがちな依存者も、

本当は「困っている人」であると松本氏は語ります。

 

実際、依存患者の多くはADHDなど他の精神的特徴を併せ持っており、

刺激的な物質でその症状が一時的に改善されていたケースが多いです。

 

松本氏はADHD患者にとって覚醒剤が落ち着きをもたらす例を挙げ、

適切なADHD治療薬で脳のバランスを正常化すれば「依存」の理由が消え、

断薬しやすくなると説きます。

 

一方、横道氏はヒップホップミュージシャンの例を引き、

ADHD持ちの彼らがマリファナを「魔法の治療薬」として使っている事情を語ります。

 

つまり、本来はADHD薬で治療できるところを、

マリファナなら自分らしさを損なわず症状が治まる。

 

この点から横道氏は「マリファナは発達障害を治しすぎず

『その人らしさ』を残してくれる魔法の薬かもしれない」と指摘しています。

 

このように二人は、「重複障害」と呼ぶ併存例の実例を共有しつつ、

依存症と他の精神障害は切り離せないことを示します。

 

精神医療全体に広がる「自己治療」という現象

さらに対話では社会的視点にも踏み込みます。

 

「依存症患者」と「一般精神科患者」を不当につなぎ合せる昔ながらのタブーを打破し、

どちらにも共通する孤独とストレスの問題を浮き彫りにします。

 

例えば統合失調症の患者の高い喫煙率やカフェイン消費を取り上げ、

鎮静剤による陰性症状ややる気の低下を防ぐ自己治療として

ニコチンやカフェインが使われている可能性を示します。

 

過食や摂食障害の女性患者がコーヒーやタバコで食欲を抑えている例や、

トラウマ患者がアルコールでフラッシュバックを紛らわしている例も挙げます。

 

こうして「自己治療」は精神科全体に広く存在する現象であり、

決して特殊なものではないと強調します。

 

「回復のコミュニティ」という居場所の力

中盤以降は、依存症をめぐる具体的エピソードや対話も増えます。

 

松本氏は「回復のコミュニティ」を、単に依存治療の枠を超えて広い概念として語ります。

 

研究によれば、公園や図書館などの「集まれる場」は

人々のレジリエンス(回復力)を高めるとされ、

松本氏は「集う場所」こそが回復の場の条件だと言います。

 

仮想空間でも同じで、SNS上の自傷・オーバードース仲間のコミュニティも

孤立を防ぎうる「回復コミュニティ」とみなし、

歌舞伎町のヤミ市場的な場にもその側面があると述べます。

 

そして「回復のコミュニティとは『自分だけではないことを知る場』」であり、

熊谷晋一郎氏の言葉「希望とは絶望を分かち合うこと」の教えにつながると言い切ります。

 

松本氏はさらに、依存症治療がこの考えを最初に広めた面があるものの、

今や他の精神医療領域でも「仲間づくり」が盛んになり、

自らが「リーダー一周遅れ」になりかけていると冗談交じりに認めます。

 

実際、精神疾患を抱える人たちが集まる大規模な「リカバリーフォーラム」を訪れた松本氏は、

幻聴持ちで薬を拒否する当事者や、反精神医学を掲げる人たち、治療に感謝する人たちまで、

様々な立場の人々が一堂に会して活発に語り合う姿に驚きと希望を見出しています。

 

回復とは何か  「自分だけが苦しまない」ために

最後に二人は、依存症を止めさせるだけではない広い回復の道筋をまとめます。

 

依存症の真犯人は「生きづらさ」であり、それを無視した強制的な禁酒・禁薬は

本質的な解決にならないという松本氏の指摘にも共感しながら、

人生の様々な場面で感じる孤独や痛みをいかに共有するかが重要だと訴えます。

 

言い換えれば、「自分だけが苦しまない」ことが最大の回復であり、

そのために支え合うコミュニティが不可欠なのです。

 

読者はこの対話を通じて

「依存症を抱える人は困っている人であって問題児ではない」という視点を身につけられます。

 

たとえば、自分自身が不健康な習慣に頼るとき、その背景にどんな苦悩があるかを探り、

軽率に責めるのではなく理解と支援を考えたくなります。

 

また、支援者側なら、あえて弱さを見せ合う「へい、○○!」式のコミュニティ構築が

想像以上に治癒力を持つことを実感できます。

 

このように本書は、依存症をテーマにしながら、

読者の日常にも活かせる具体的な気づきを数多く提供しています。

 

最後に

ここまで本書について紹介してきました。

 

依存症に立ち向かうには一人で抱え込まないことの大切さです。

 

作者二人も、自らの依存と不安をさらけ出すことで、

お互いに支え合いながら回復への一歩を踏み出しました。

 

本書が気になる方は、ぜひ手に取ってみてください!

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